#104)何のために生きているのか?という疑問を自分に投げかけてみた


FROM:佐藤直人

2017年も始まって早2ヶ月が経過しましたね。
・・・相も変わらず飲んでばかり。
次はお花見で飲めますね!
お花見イベントやろうかな。

さて、今日のタイトルの件、たまにこういう投げかけを自分にするときがあるんです。

自分は何のために
生きているのか?

皆さんも経験ありませんか?
別に鬱になっている訳じゃありませんよ。
こういうフレーズを言っていると何だかテンション落ちてるのかな?とか悩んでるのかな?なんて思われがちな気がしますけど、真正面から自分と向き合うことも大切だと思うんですよ。

今まで考えたことあはってもそれを形に残したことないんですよね。
そんな理由もあって今回は記事として残したいと思います。
佐藤が自分自身のことどう思っているかなんて興味ないでしょうけど、たまにはこういう記事もありかなぁなんて思って書いてみます。

キレイごとみたいなのは無しにして、本当に自分が感じるままに書きます。
ですから、共感できる部分もあれば、ちょっと何言ってるか分かりません。って部分もあると思いますが、優しい目で見ていただけると幸いです。

では、始めます。

食べるため

「生きるために食べる」っていうのはよく聞く話。生命活動を維持するために絶対的に必要なこと。

でも、僕の場合は「食べるために生きている」と言ってもいいのかもしれない。

何かを食べているときに本当に幸せを感じる。別にグルメな訳ではない。
どこの店がうまいとか、これは○産、あれは□産とかも分からない。
ただただうまいものを食べいるときに幸せをを感じる。それと同時に食材となっている生き物にも感謝している。

だから、僕は絶対に食べ物を残さない。誰かとご飯を食べに行ったとき、相手が食事を残していたら、マジで引く。ドン引きどころの騒ぎではない。

親しい人なら僕がもらって無理をしてでも頂く。無理をしている時点で食物に失礼な気もするが。

遊ぶため

人生遊んでナンボやろ!

こんな考え方は嫌いじゃない。
もういい歳(28)なんだから落ち着けよ!なんて世間のよく分からない常識に捕らわれた意見も聞こえてきそうな気もするけど、大人になったら落着けなんて理不尽にもほどがある。

勿論、常識の範囲内での遊びのことを言っている。
ギャンブルとかは勿論遊びに含まれない。あんなものはドブにお金を捨てているようなものだ。

大人になってからの遊びは「挑戦」すること。
金銭的な余裕も出てきて、行動範囲も広がり、人脈も広がる。
僕の場合、世界が広がったのは社会人になってからだ。
東京に行く回数も社会人になってから圧倒的に増えた。
それは仕事で東京に行ったのではなく、プライベートで「挑戦」出来ることを探しに行くために東京に繰り出していたから。
それがあって、今こうしてブログを書いている自分がいる。
「挑戦」した先に出会えた人たちと今こうして活動出来ていることに本当に感謝している。

それでも、社会人になってからは何かと保守的な行動が多くなった気がする。

「休みの日くらいゆっくり寝かせてくれ」と。
子どもの頃は寝る間も惜しんで友達と騒いだり、朝方までゲームに没頭したりしていた。
社会人になると、「次の日も仕事だから」とそんなことはしなくなった。
会社も学校もお同じようなものだ。どちらも学び、そして実践する場所である。
学校では学びを通して、テストで点を取らなければいけない。
会社では学びを通して、売上を上げなければならない。

体力的に問題があるのはの否めないけれど。
子どものころの遊びは今思うとかなりクレイジーだった。
ガチャポンのカプセルに汚物を入れて投げ合ったりしたときもありましたよね。
あと、無意味にものを破壊していたな。破壊衝動すごかったな。ゴジラ並みだった。

働くため(自分のために)

働くことはやっぱりいいことですよ。

社会活動の一端を担うわけで、そんな経験は生活しているだけでは経験出来るものでもないし。

「より良い社会にするために!」「困っている人の助けになるために!」
こういった理由で事業やっている方と出会ったこともあるけど、まだまだ自分はその思考までほど遠い。

行く行くはそういった思考で働きたい。
行く行くね。初めからそれを考えていると結局のところボランティアでええやん。ってなってしまうと思うんです。
だって、人の役に立つことで満足するのであれば、、、お金はいらんでしょ。

「より良い社会にするために!」「困っている人の助けになるために!」これらを掲げて、独立や起業を目指している人と、「稼ぎたい!」「有名になりたい!」を掲げて独立や起業を目指している人、どっちが強そう??

後者でしょ。

自己実現の欲求はかなり強い力を持っていると思う。
その中の金銭的な欲求は特に強いんじゃないかな。今の自分の収入と比較もしやすいし、生活していく中で常に付きまとってくる問題でもあるし、一番身近な存在でもあるんで。
で、実際に自分の欲求を満たした上で、社会に還元って流れだと思うんですよね。

生きた証を残すため

これは前段の「働くため」に繋がる部分でもある。

僕の中での生きた証はやはり「起業・独立」といったところになる。
自分の力で生きていきたい。
そして、自分が存在したことを残したい。教科書に載るとか。

ただ生きて、ただ死んで、チャンチャン。で終わりたくないんですよ。

親孝行するため

これは普段は全く意識していない。

でも、自分が何のために生きているのか?と自問自答する度に出てくる答え。

親が
ご飯を食べさせてくれる。
洗濯をしてくれる。
ゴミを捨ててくれる。(見られたくないゴミもあったけど)
服を買ってくれる。
どこかに連れてってくれる。
映画を見せてくれる。
学校に行かせてくれる。
相談にのってくれる。
叱ってくれる。
褒めてくれる。
育ててくれた。

頭に浮かんだものを列挙してみたけど、親として当たり前と言えば当たり前の事かもしれない。
しかし、この当たり前のことがどれだけ大変なことなのかを僕はまだ実感をしていない。
正直なところ、まだ親の気持ちは分からない。

僕は片親だ。兄弟は兄が一人。
僕が幼稚園くらいの頃からほぼ父に育ててもらった。母親は居たが居ないようなものだった。
それでも、母親はお腹を痛めて僕を生んでくれた。
本当に感謝している。

それでも僕は育ててくれた父に数百倍、いや数千倍感謝している。
男手ひとつで兄と僕を大学に行かせ、社会人になるまで育ててくれた。
父のおかげで何かに不自由を感じることなく今まで生きてこれた。

それもあって、片親であることを恥じたことは一度もない。
本当に自慢できる父親だ。

だからそんな父には絶対に親孝行しないといけない。
実際、自分がやっていることが親孝行になっているのかは分からない。
自分でやって満足していてはそれは自己満に過ぎない。

どうやって父を喜ばせることが出来るか?
どうやって父を笑顔にすることが出来るか?

そんなことを真剣に考えてみたんだけど、一緒に飲んでるだけですごく楽しそうにしているんだわこれが。

こんなことで良ければいくらでも付き合うよ。
飲ませすぎて身体壊されても困るけど。


もし、最後まで読んでくれた方がいたのなら、

本当にありがとうございます(泣)

今回の記事が皆さんの心にどう響いているのかは分かりませんが、何か学べることがあったのなら幸いです。

定期的に自分と真正面から向き合うと、結構考えていることが変化しているので、記録に残すことは大切だと思います。

皆さんも自分と真正面から向き合ってみてはいかがでしょうか??

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SATO NAOTO

1988年5月1日 ペリー来航の地、浦賀生まれ。海洋の勉強をして、マンション関係の仕事に勤めていた水陸両用型。マンション関連の仕事を3年で辞め、ジャンルを問わず様々なキャリアを経験。現在は派遣先から熱烈なオファーを受け、サラリーマンに。一方で自分の生きた証を残すため、サラリーマン以外で自分の価値を見出すことに奮闘中。飲みやの店員さんと絡むのが大好き。

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